SDGsなプロジェクト
九州の企業が取り組むSDGsプロジェクト
僕がその手を握った限りは、絶対にそいつを再犯させない。その覚悟と行動が生み出す愛すべき日常について。
Last Update | 2021.07.28
#地方創生 #社会課題の解決 #既存事業の拡大 #安全で住みやすい街づくり #福岡
光進工業株式会社
「再犯防止」という社会課題
国が定めた『SDGsアクションプラン2021』には、8つの優先課題が設定されている。世界に比べ遅れていると言われる「ジェンダー平等の実現」や、新型コロナウィルス感染症拡大を受けて重要度が増す「健康・長寿の達成」などに加え、「平和と安全・安心社会の実現」が挙げられている。その具体的な取組み事例の一つに「再犯防止対策」があり、犯罪や非行をした人が、地域社会で孤立せず、再び地域社会を構成する一員となるための具体的な施策が、各自治体で進められている。
2019年に策定された「福岡県再犯防止推進計画」によれば、2017年に全国で刑法犯により検挙された人は、215,003人。うち再犯者は104,774人で、検挙者に占める再犯者の割合は48.7%とされている。福岡県でも同じ傾向にあり、検挙者の約半数が再犯者であり、刑期を終えた元受刑者の社会復帰には、それを阻む数々の課題があると言える。
この推進計画には、犯罪や非行をした人の中には、安定した仕事や住居がない、高齢で身寄りがない、障がいや依存症がある、十分な教育を受けていないなど、スムーズな社会復帰に向けて、その具体的な課題と支援を必要とする人が数多く存在することが明記されている。たとえば、刑務所に再び入所した人のうち約7割が再犯時には無職で、仕事に就いていない人の再犯率は、仕事に就いている人と比べ約3倍と高いこと。出所後2年以内の年齢層別再入率は、65歳以上が23.2%、30〜64歳が18.1%、29歳以下が11.1%と、高齢者の割合が最も高くなっていること。福岡県内の出所者のうち、出所時に帰住先がない人は23.0%であること。刑期を終えて出所しても、働く場所や住む場所がなく、高齢ゆえにできる仕事も限られるという状況だ。
北九州市小倉西港に本社を構える光進工業株式会社。建物解体や産業廃棄物のリサイクル業を営む総合環境企業だが「協力雇用主」としても確かな実績を持つ。協力雇用主とは、刑務所から出所した元受刑者等の事情を理解した上で雇用し、改善更生に協力する民間事業主のこと。元受刑者等の再犯防止に向けた最も直接的で効果的な支援と考えられている。福岡県内の協力雇用主は872社が登録されているが、実際に刑務所出所者等を雇用している協力雇用主は67社、協力雇用主に雇用されている刑務所出所者128人 (法務省提供データ 2018年4月1日現在) である。
夢は日本一のダンプ運転手!?
1971年創業、2021年で創業50周年を迎える光進工業は、創業者 細川 勲氏 (現 取締役相談役) の息子である細川忠広さんが代表取締役社長を務める。「後を継ごうと決心したのは24歳の頃ですね。大学を中退して、行くとこないから21歳で光進工業に入社して、23歳でJC (公益社団法人ひびき青年会議所) に入って、その21歳からの2~3年は、本当に惰性というか、な~んも考えてなかったし、もちろん会社経営なんてこれっぽっちも興味がなくて。僕、日本一のダンプ運転手になりたかったんです(笑)。当時、会社にあった買い替え時期を迎えてた古いダンプを1台、僕専用にしてもらって、給料が出るたびにダンプの装備品をちょこちょこ買っては飾り付けするのが楽しくて。あのピカピカ光る電球あるでしょ、あれ1個500円しなかったかなぁ、あれをダンプの両側と後ろに60個くらい付けて30,000円とかね。そんなことばっかりしてました」と笑う。
大型ダンプが運転できれば楽しかった細川さんは、あるときJCの先輩から尋ねられる。「お前、小遣いいくらや? 」。社長の息子とはいえ、特別扱いはされていなかったそうで、小遣いと言っても、給料から家賃や生活費を差し引いて、残るのは良くて50,000円くらい。その中から、トラックの飾りとJCの活動費をやりくりしていた。「先輩はいくらなんですか? 」「俺がだいたい300,000円くらいかな」「はあ、そうですか (…ええ!? 一日10,000円もあるやん。経営者ってそんなに儲かるんや) 」と。「早速、会社に戻って、当時、経理担当だった母親に『俺の給料上げてくれ』って言うたら、『ばかたれ。あんたみたいなの、給料あるだけでもありがたいと思え』って言われて (笑) 」。当時の細川さんの仕事ぶりが、なんとなく想像できそうだ。
「僕があんまりしつこく言うもんだから、母親が『産廃を黒字にしたら考えてやる』って条件を出してきたんです。当時、光進工業は、産業廃棄物リサイクルの部門が若干の赤字で、会社の総売上の2割程度の規模でした。僕はダンプしか運転したことがないので、それでも本を読んだりして、損益分岐点ってのを知るわけです。それが当時で (毎月) 500万円くらいだったのかな。でも今は売上が300万円くらいしかない。じゃあ、300万を500万にすればいいんだと。だったらやれるかもしれんね」。そう考えた細川さんは、勝手に「営業部長」の肩書きの名刺を作り、自社のパソコンではスペックが足りないからと、社外でパソコンが使える仲の良い人にお願いしてチラシを作ってもらい、自社のそばを通る国道199号線の交差点に立ち、信号待ちで停車しているダンプ1台1台に「そこで、産廃やってますんで寄ってください」と案内を始めた。「2~3か月すると、少しずつウチに産業廃棄物を持ち込んでくれるダンプが増えて、するといろんな話をしてくれるので、お客さんが困っていることや不便に感じてることを解決すれば商売になるってことが分かりはじめるんですね。結局、4か月経ったくらいで月の売上が600万円を超えてくるようになって。それで営業というか、人と喋ることが好きになりました」と振り返る。
協力雇用主が直面する現実
細川さんは、2008年に光進工業株式会社 代表取締役に就任。続いて2010年にはJCIひびき 第39代理事長に就任する。「JCの理事長ってですね、1年365日の任期で400回くらいは挨拶する機会があって、登壇する直前に『1分でお願いします』とか『10分でお願いします』とか言われるんです。JCに入りたての頃は、挨拶が大嫌いだったんですが、そのうち、時間ぴったりでまとめて話せることが嬉しくなってきて、今ではちゃんとした舞台で喋るのが快感になってきてますね」と笑う細川さん。たしかにインタビューしながら、笑わせられたり集中させられたりと、ついつい話に引き込まれてしまう。そんな細川さんの元には、年間5回から多い時で15~16回の講演依頼が届く。テーマは「協力雇用主の取組み」である。
「僕は講演で飯食ってるわけじゃないんで、講演料はいただいてません。遠方だと交通費くらいはお願いしますけど。たしかに、皆さん協力雇用主の話には興味があると思いますよ。他に話をしてくれる方が少ないのと、実際、世の中では元受刑者の再犯が多いですからね。それも同じ人が何回も(罪を犯して)刑務所と行ったり来たりしてるのが現実です」。
じゃあ、なぜ何度も再犯するのか? 「まず彼らが自分で自分に社会不適合者の烙印を押してるんですね。『俺はダメ人間だから』とか『どうせ前科もんや』とか。自分から社会に溶け込もうとしない。だからって社会の方から手は差し伸べないですよ。自分が『助けて』って手を出さん限り、向こうから手は出てこない。僕らはいろいろと勉強させてもらう機会があったんで、彼らには『まずは手を出しとこうや。誰が握ってくるかわからんけど、手は出そう』って話すところから入っていくんです。で、この話って『僕は手を差し伸べています。皆さんも彼らに手を差し伸べてあげてください』ってことじゃないんです。まずは、そんな奴がいることを知っといてください。僕が (その手を) 握った限りは、絶対にそいつを再犯させない。こいつもきっと頑張るから、白い眼で見らんでください。受け入れてくれんでいいから、頑張ってる奴を批判したりせんでくださいってお願いしています。講演を聞いていただいた方のなかには、僕らの取組みを支援する意味で、解体や清掃のお仕事を発注いただく方もあって、もちろん有難いんですが、決して支援を呼びかける目的で講演しているわけではないんです」と言う細川さん。
[注1]裁判で刑罰が確定していない被疑者や被告人を収容する留置施設のことで、留置所は各都道府県警察内にあり、拘置所は法務省の施設。
住む場所がないから辞めてしまう
細川さんは言う。「元受刑者を受け入れ始めた頃、仕事はきちんとこなすし、勤務態度や人間関係にも問題がなさそうに見えても、3か月とかでウチを辞める人が続いて、どうしても定着しなかったんです。なんでだろうって思って (彼らに) 聞いてみたら『住む場所がない』って答えが返ってきたんです。出所後、国や行政の支援はあるものの [注2]、支援期間が決まっているので、その期間を過ぎると暮らす場所を失うんですね。じゃあ僕たちで寮を作って生活の場を確保しようと、古い空き家を光進工業で借りて、最初は3人かな、住んでもらって。それが4名、5名と利用者が増えて、家賃の支払いもバカにならんので、じゃあ、僕らで寮を建てようとなったんです」。実は、寮を建てる時の土地代は、光進工業の取組みに共感した地主さんが、ずいぶんと安い坪単価で取引していただいたとのこと。しかも土地の受け渡し前に地下の埋設物工事を行い、それを光進工業に発注してくれたそうで、今でもその気持ちには感謝の想いしかないのだそう。
[注2]出所後の自律支援策としての一時的な宿泊場所には、更生保護施設や自立準備ホームなどが挙げられる。利用時の費用は国が負担するが、利用期間は概ね2〜3か月と定められている。
細川さんは続ける。「他所は、施設なんですよ。自立支援の施設。『お前たちは悪いことをしたんだから、立ち直らなければならないんだ』『○か月後に此処を出なければならないんだ』とか、彼らには“しなければならない”ことが突きつけられる。YESかNO、 正義か悪の2軸しかないんです。『そりゃ罪を犯したんだから当然だ』って言われればそれまでですが…。陽だまり寮は時間軸で動かしてないんです。寮を出て行かなきゃならない期間は決めていません。とはいえ、やっぱり彼らには自立して欲しいので『300万円貯まったら出て行こうね』って決めたんです。そしたら『じゃあ、300万貯めなきゃ、出ていかなくていいんよね』って。いや、貯められるでしょって。そういうことじゃないんだよねって (笑) 。それくらい、彼らにとっては、陽だまり寮が大切な居場所なんだなって思い知らされましたし、そう思ってくれているのは嬉しいなとも思いました」。
雇用創出のためのホールディングス化
派遣、1年後に社員、そして代表取締役社長
「社長の話も突然でした。ある日、細川社長に呼ばれて。まさにこの部屋ですよ (笑) 。『会社が一個あるけぇ、やってみんか』って。さすがに即答はできませんでしたね。いろんな人に相談したら、中には『それ、騙されとっちゃない? 』って言われたり、でも本当にそのくらい信じられない話だし。ただ、10年後の自分を考えたときに、経営者になるチャンスなんて自分では絶対作れない。それに、きっと周りには助けてくれる人がいっぱいいると確信できたんです。それに細川社長はいつも『どうやったら、できるようになるかを考えよう。できないとは言わないこと』と言ってて、確かにそうだなと私も思っていたので、じゃあ『どうやったら社長がやれるのか? 』と次第に考えられるようになりました」と就任の経緯を振り返ってくれた。
「困った人がいたら、全力で、みんなで助けに行くっていうのが光進工業の社風というか文化というか、だから私も、今も社長をやれているんだと思います。協力雇用主の話も、今ウチに来てる人は、昔、魔がさして悪いことをしたけれども、ここからちゃんとしたいって言う人たちだから、それをみんなで助けるのは当たり前でしょって感じです。私も、ここでたくさんの人たちに助けてもらったから今があります。光進のみんなも多分同じ。かつて助けてもらって今があるから、今困っている人にはその恩返しみたいな感じじゃないかと。それにウチには障がい者の人もいるので、できることに差があるのは当たり前。でも、それ以外は、別にみんな普通に同じ仲間ですね」と松永さんは言う。具体的な施策だけでなく、光進工業の持つフラットでオープンな雰囲気も、協力雇用主として大きな意味を持つのだろう。
「私は、最初、細川社長みたいにならなきゃって思ってたんです。いろいろな企画を次から次に出して、みんなをグイグイ引っ張る感じですよね。でも、それは私にはできないと気付くんです。やっぱり、自分はちょっと違ってた。それで、すごい悩んでしまって細川社長に相談したことがあって、『佐知子は、自分なりの社長でいいんだよ』って言ってもらえたんです。じゃあ私は、人を応援するのが向いているかも!? 全力でみんなが動きやすいように、声を掛け合いやすい日々にしたいって思ったんです。だから、『スタッフのみんなを、ちゃんとステージで輝かせるのが私の仕事』だって思ってます」。派遣社員時代から、松永さんの役割は変わっても『目の前の人を笑顔にしたい』という軸は、実は少しも変わっていない。
細川くん、僕だったら絶対に辞めさせないと思うよ
細川さんと話をしていく中で「協力雇用主の取組みは、やってよかったですか? 」と尋ねてみると「償いのひとつにはなったかなぁとは思います」と、予想外の言葉が返って来た。
「僕が、初めて受け入れた元受刑者の方なんですけどね。面談もして、人間的にも信頼できると思えたので雇い入れて、実際、真面目に仕事に向き合ってくれていたんです。しばらくして、ちょっと体調を崩されて長期入院をしなければならなくなり『一旦、会社を辞めさせてほしい』って申し出がありました。彼が『病気が治ったらまた雇ってもらえますか? 』って言われるので『もちろんそのつもりです』って返したんです。それで彼が入院して、僕もお見舞いに行ったりしてたんですが、ある日、彼が同じ部屋の入院患者さんのお財布に手をつけて現行犯逮捕されたって連絡が来たんです。もう、僕も初めてのことでどうしていいかわからないまま、とりあえず彼が留置されている警察署に行って。留置場に行くのも初めてで、足がガクガク震えながら彼に会って、そこで僕は『これでもうウチに就職はないよ。残念だったね』って冷たく言い放ったんです。彼は泣きながら『はい、それは当たり前です。ご迷惑をおかけしました』って言ってるけれど、僕はそれだけ言って帰ってしまったんです。今の僕なら、絶対に言わない台詞を投げつけたんです」。
「協力雇用主の取組みを進めるにあたり、本当にお世話になっている大先輩で、有限会社野口石油の野口会長に、後日、その事を話したんです。野口会長は、普段から誰かを叱責するような方ではないんですが、ただ『細川くん、僕だったら絶対に辞めさせないと思うよ』って言っていただいた。僕は、あのとき『出てくるまで待っとうよ』って言ってあげられなかった自分が、今も許せないままです。あのとき彼にしてあげられなかったことを徹底的にやり続けたい。今もそう思っています」。
細川さんが言う『僕が (その手を) 握った限りは、絶対にそいつを再犯させない』。その覚悟が一層重く伝わってくる。
「僕が望んでいるゴールは一つだけ。彼らの結婚式でスピーチすることです。僕は彼らに、ちゃんとしたお付き合いを堂々としなさいって言ってます。そのお相手を僕らにちゃんと紹介しなさいって。『結婚は、お前ん方と相手ん方の家との儀式やけん、ちゃんとした結婚式をあげなさい。両家族の前で契りを交わすことが大事』って言ってます」。細川さんはそう語る。光進工業が用意した陽だまり寮は、地域社会とつながるための仮の住まい。自分で自分の帰る場所を自分の力で作ってほしい、そしてそのことを一緒に喜びたい、そんな願いが込められている気がした。